単独インタビュー第4弾 ロングインタビュー「スコッチ文化研究所代表 土屋 守さんを迎えて(2)」
KQ2:お話を伺って、それどころではなかったと分かりました。それでは次ですけれど、土屋さんの学生時代はどの様な方でいらっしゃったのでしょうか?
土屋さん:僕が生まれたのは、新潟の佐渡島でしょう。
K:はい。
土屋さん:佐渡島の高校を出て、高校の時は実は山岳部だったのね。中学の時は、天文学部だったのね。星好きの天文少年だった人間が、高校に入ってどういうわけか山登りに夢中になって山岳部に入って、その延長で大学の時には、探検部という所に入ったのね。それは山やっていると冬山に行くようになるのね。で、冬山や危険な山にもどんどんとチャレンジしていきたいと思うんだけれど、親が許してくれなかった。「大学に入って山岳部に入る事だけは絶対に許さん」と言われて、しょうがないんで、大学に入って「探検部」に入って、やっている事は山岳部と一緒なんだけれど、探検部と言ってもよう分からないから、大学時代は学業よりも探検部を卒業した様なものだよね。
K:(笑)もう毎日活動ですか?何かにつけて?
土屋さん:そうね。週に1回のミーティングがあって、週に2回トレーニングがあって、放課後だけれど、でもそれだけでは体力が追いつかないので、自主トレと称して週3回はトレーニングをして、で、ほとんどの週末は山に行くか、川に行くか、俺はあまりやらなかったけれど、洞窟に行くかしていたね。
K:洞窟?はい。
土屋さん:色んな活動をしていたね。基本的には山なんだけれど、そういう事やっているから山道具にも金が掛かるし、そういう風に行くから更に金も掛かるから、普段はバイトだよね。仕送りだけじゃ足りないんで、大体親もそんな事していると思っていないんだから。
K:そうですね、はい(笑)。
土屋さん:だからバイトをしながら、週3日か4日大学に行くんだけれど、授業に出るよりも部室に行く方が多かった。ほとんど部室にいたんじゃないかな。
K:その時のバイトは何をしていらっしゃったのですか?
土屋さん:あらゆるバイトをやったね。
K:1つの所をずっと長くではなくて、ですか?
土屋さん:だからね、バイトは本当に色んな事をやったね。印刷所で製本の仕事もやったし、雑誌の製本作業にいると、まさしくチャップリンの映画の「モダンタイムス」みたいなもんじゃない。機械の様に働かされてさ。確かに週刊誌や月刊誌が作られている現場なんだけれども、機械の様に働かされて、2時間で多分休憩もあったけれど、すごい大規模な広い所でやるわけじゃない、ラインの様な中で俺たちが。そういうのをやってみたり。ある所の配送センターでバイトしてみたり、その中で印象に残っているのは地下鉄の工事だね。道路工事も勿論やっているよ。土方もやった。その中で1番印象に残っているのは、地下鉄工事かもしれないね。
K:そうですか。
土屋さん:今でも有楽町線の市ヶ谷駅の周辺はやめた方が良いよと思うんだよね(笑)、俺たちがやっているから。
K:ええ?(笑)
土屋さん:有楽町線の市ヶ谷駅のお堀の下を通っているんだけれど、当時は最先端の工事だけど、あれは俺達学生がやっていた部分もあるからね(笑)。
K:ええ。それは、「探検部」の方もご一緒ですか?
土屋さん:そうね。皆合宿前になると、合宿費用を捻出する為にバイトをするじゃない。短期でとにかく金のいいバイトになるわけ。そういう一見特殊なバイトを先輩が探して来て、その先輩の指図で俺達下級生は働かされると。と言う事で、あらゆる現場に送り込まれたね。
K:ええ。
土屋さん:今思えば、ピンはねされてたんじゃないかと気もするよね、上級生に(笑)。うん。いくつか危険なバイトもあったよね。
K:それは工事の中での危ない作業という事ですか?
土屋さん:だね。まるでとび職の様な事もやらされたりとか。しかも夜だから、正規採用、昼間働いている土方と又違うんだよね、やっぱり、全然。その行って、いきなりやらされたりとかするんだけど、そんなの俺たちがやっていいの?と思う作業も含まれててさ。
K:ええ。でもそれは、若いですし体力もあるので、こなせてしまいますよね?
土屋さん:ま、そうね、俺達は体力しか取り柄がないというクラブなわけだから。それもトレーニングの1つみたいな所があって、体力勝負の現場によく行かされたよね。
K:ええ。
土屋さん:それはそれでまとまった金を得て、それを長期合宿に充てて、探検部の合宿は夏と春と両方あるんだけれど、長期合宿だと1番長いと海外遠征で半年海外へ行っちゃうから。
K:合宿で半年も、ですか?
土屋さん:そうそう。国内遠征で1番長いのは40日位。夏休みなんて丸々ないわけだよね。
K:そうですよね。
土屋さん:合宿でも色々な所へ行っちゃうから、本当に学生時代って、探検部の活動以外の思い出は、あとバイト...(笑)。
K:お勉強に関しましては...?
土屋さん:だからその国文科という所だったんでね、学習院大学の国文科は、ちょっと特殊の所があってね、最初に入って驚いたのは1学年が90人位いたんだけど、男子の学生が10人位しかいなくてさ。
K:そうなのですか。
土屋さん:8割から9割が女子で、1割ちょっとが男子で、8割から9割の女子も大部分が下から上がってくる人達だから、いわゆる学習院の女子部の人達。俺は田舎から出て来たから全く知らなかったんだけど、学習院が何たるかも知らなかったし、そういう意味でいうとカルチャーショックがあったよね。
だから国文科の授業に出ようと思っても周りに女子しかいないから、そうなると男子はドロップアウトしちゃって。そうでなくても少ないのに、男子がいないという話になって来ると誰も出なくなるんだよね。
K:そうですね。お仲間がいないと。
土屋さん:そうそう。
K:私が学生の頃に学習院の方と知り合ったのですが、自由な方達でしたね。遊ぶけれど、お勉強もするという印象でした。
土屋さん:真面目なんだよね。それによく勉強するし。とにかく目白のキャンパスって今でもそうだけれど、非常に恵まれたキャンパスでね、目白駅から歩いて1分でしょ。何も変わらずあれだけの緑が多くてさ。だから(笑)、トレーニングする環境にも恵まれていた。
だから学習院で俺達は、「院内1周」って言うんだけれど、あの森の中みたいな所をクロスカントリーの様にして走ってトレーニングが出来るんだから、恵まれた環境ではあったよね。
教授陣も一流だしさ、勉強する環境は整っていたんだけれど、残念ながらその時は勉強しようという事に目覚めていなかったという事が、今思えば本当に残念な事だよね。(3へ続く) (1へ戻る)
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